「上岡龍太郎」さんが芸能界を引退して8年になりますので、若い大学生あたりのかたが「上岡龍太郎」ときいてもピンと来ないかもしれません。

昭和40年代前半まで「漫画トリオ」という漫才コンビを組んでいたのは周知。
その後、テレビやラジオで司会者として活躍していましたが、関西ローカルでした。
私は「ノックは無用!」@関西テレビやラジオの「ポップ対歌謡曲」@朝日放送での立て板に水の司会ぶりが思い出されます。
スピードあってテンポって、かつスマートな司会ぶりのかたは今は、いませんなあ。
いや、今のテレビでは、そういう人を求められていないのでしょうなあ。

ラジオの「歌って笑ってドンドコドン」@ラジオ大阪も懐かしい。



毒舌でしたが、今思えば下品じゃなかったです。その点は寄席芸人としてのポリシーだったのか?
この番組で桂雀々さんと共演しました。
それもあってか、番組で落語の世界のことが触れられ、知ることができました。
落語でまず最初に知ったのが、文枝一門でも林家でもなく、(雀々さんが所属する)米朝一門になったのは、この番組のせい。

ときどき毒舌(野球でいえばビーンボールを放るよな)を吐く上岡さんでしたので、放送局とも喧嘩をし、朝日放送や毎日放送を”出入り禁止”になったことがありました(笑)
朝日放送は「探偵!ナイトスクープ」で復活しましたが、それまでは出られなかったと思います。
・・・いや、それまでにラジオでのキッチュ(松尾貴史)氏の番組に出演し、吠えまくったことがありました。キッチュかわいそうやったなあ(笑)

その後「パペポTV」での人気がもとに、東京進出しましたが、かつてのキレはなくなったのは残念でした。
東京進出後は「文化人」として売ってたもんなあ。
でも大阪にいる私は「違うやん」と思ってました(笑)。
「あんた、大阪のテレビ番組で占い師の顔に『×(ぺけ)』と書いてたやン」と(笑)

でも全国ネットになった上岡さんはキレはなくなったが、こと「戦争」に関しては、徹底して「NO」でした。

いつやったか「探偵!ナイトスクープ」で(第二次世界大戦での)大阪の第八連隊のことが取り上げらたそうです。
第八連隊はとても弱くかったのですが、その生存率は高かったのだそうです。
要は生きるために負け戦をしたようです。
しかし、これを取り上げたレポーターはその戦いかたについて批判したそうです。要するに命を駆けて戦ってこい(死んでこい)と云ったそうです。
これに対し、司会の上岡さんと隣り座っていた顧問役の弁護士さんが猛然とレポーターを批判したそうです。
その批判のしかたが、とても放送するに堪えられなかったので、このレポートはお蔵入りとなったそうです。


2年前に天満天神繁昌亭ができ、その2階席に行くと、天井には著名人の名前が書かれてあって、近鉄の「上山善紀」さんの近くに上岡さんの名前が書かれた提灯が下がってありました。
位置としては2階席の後ろのほうでした。
目立つとこに提灯を出さなかったのは、上岡さんのポリシー?かと思いましたが。