
高野山から南海高野線で難波(なんば)へ。阪神電車に乗り換え、そのまま相互乗り入れしている山陽電車の霞ヶ丘駅へ。霞ヶ丘は垂水(たるみ)駅の一つ先で各駅のみ停車。
霞ヶ丘駅からは線路沿いの遊歩道を抜けると現場に到着。

昭和40年から10年かけて神戸市が復元した前方後円墳です。
前方後円墳といえば、大阪・堺の「大仙陵(伝仁徳天皇陵)」などを思い出すけど、堀に水がたくわえられていて、緑が植わってて、そして宮内庁の管理下なので中に入れないので、大阪サウスな人間にとっては、身近にありながら、遠い存在でした。
こちらは、築造された当時の古墳に復元してあるのだそうです。


名前の由来は淡路島の五色浜から石を運んで葺いたから「五色塚」と呼ばれるようになったという。



3段に築かれた墳丘のうち、下段は地山を前方後円形に掘り残し、中段および上段は盛土をしたのだという。


ただ、前方部の一部はJRや山陽電車の線路があるので復元できなかったという。

頂に登ると、前のマンションが邪魔なのだが、東から大阪湾、明石海峡大橋、そして播磨灘と絶景。



夜景も綺麗やろなと思ったら、古墳の見学は午後5時までとのこと。
まあ、せっかく復元した文化財を大切に遺すために仕方ないのやろね。

以下、googleマップ(パソコンで見て下さい。)
大きな地図で見る
関連リンク:
・五色塚古墳
・五色塚古墳・大歳山遺跡web-site
・神戸guide:五色塚古墳@沢の鶴
霞ヶ丘駅からは線路沿いの遊歩道を抜けると現場に到着。

昭和40年から10年かけて神戸市が復元した前方後円墳です。
前方後円墳といえば、大阪・堺の「大仙陵(伝仁徳天皇陵)」などを思い出すけど、堀に水がたくわえられていて、緑が植わってて、そして宮内庁の管理下なので中に入れないので、大阪サウスな人間にとっては、身近にありながら、遠い存在でした。
こちらは、築造された当時の古墳に復元してあるのだそうです。


名前の由来は淡路島の五色浜から石を運んで葺いたから「五色塚」と呼ばれるようになったという。



3段に築かれた墳丘のうち、下段は地山を前方後円形に掘り残し、中段および上段は盛土をしたのだという。


ただ、前方部の一部はJRや山陽電車の線路があるので復元できなかったという。

頂に登ると、前のマンションが邪魔なのだが、東から大阪湾、明石海峡大橋、そして播磨灘と絶景。



夜景も綺麗やろなと思ったら、古墳の見学は午後5時までとのこと。
まあ、せっかく復元した文化財を大切に遺すために仕方ないのやろね。

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・五色塚古墳・大歳山遺跡web-site
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