大阪城に兵器製造工場「大阪砲兵工廠」が置かれていた名残が今の大阪城公園に残っています。

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大阪砲兵工廠は明治維新後、富国強兵を推し進める国の方針のもと、陸軍の施設が置かれた大阪城内の三の丸米倉跡に建設された官営の軍需工場で、その敷地は最終的には今の大阪城公園と大阪ビジネスパーク、環状線東側の森ノ宮車庫や森之宮団地までが含まれ、広大だったようです。

大阪砲兵工廠全体図


(地図は大阪市内で戦争と平和を考えるサイトより。)

丁度今から65年前の8月14日、米軍によって大量の1トン爆弾が落とされ、徹底的に破壊されたようです。

今の緑深い大阪城公園内に豊臣や徳川に関するものはあっても、戦前の軍施設に関する建物が残っているのはかつての大阪市立博物館くらい(後述)だと思っていたんですが、大阪城関連で調べ物をしていた際にその関連施設の建物が現存することを知り、訪ねてみようと思い立った次第です。

天満橋交差点(地下鉄・京阪天満橋駅)から土佐堀通を東へ。寝屋川に架かる「寝屋川橋」を渡り、最初の交差点を右折。寝屋川に架かる「京橋」の先「京橋口」を左折すると大阪城公園内に至る通路が砲兵工廠の正門跡でした。

大阪砲兵工廠表門跡


正門跡は「筋鉄門」をいう名前だったようです。此処は大阪国際女子マラソンのコースでありますが、大阪城外堀のさらに外にあるこのゲートに名前が付いていたのは知りませんでした。

筋鉄門


その門の跡の先の煉瓦造りの小さな建物が守衛詰め所。
そして、先へ進むと大きな煉瓦造りの建物が現れます。
「化学分析場」だったところで、新兵器の開発研究や実験が行われていたようです。

大阪砲兵工廠化学分析場跡


戦後は、自衛隊が使用していたようですが、今は廃墟と化していました。
正門跡と違って、立て札、標識がなく、文献などを読まないと、この建物が陸軍の施設だったことはわからないでしょう。

大阪城内は外国人の観光客で賑わっていたのですが、このへんはひっそりしていました。観光客はこのあたりはこないでしょう。

砲兵工廠の本館は今の「大阪城ホール」の位置にあったようです。重要文化財クラスの建物だったようです。

大阪城本丸の煉瓦造りの建物は戦前、陸軍の第四師団の司令部があったのだそうです。

第四師団司令部跡


「大阪城天守閣」は当時の市民の寄付で造ったのは有名ですが、その敷地は陸軍のものでしたので、替わりに大阪市は天守閣より高い工費でこのお城のような建物を建設し、陸軍にプレゼントしたそうな。
この建物は戦後「大阪市立博物館」として使われ、のち「大阪歴史博物館」となって大手前へ移転した今は使われてないようです。


大阪城内を過ぎ、桜門から大手門に向かう途中、右に「西の丸庭園」。左に煉瓦造りの門が見えます。今は「大阪城公園清掃事務所」になっていますが、かつて兵器の倉庫だったところだそうです。

大阪砲兵工廠兵器倉庫跡


あと森之宮団地のほうに砲兵工廠があったことを伝えるモニュメントがあるそうです。

砲兵工廠があった大阪城の東側は戦後、大量に落とされた不発弾の処理が大変だからとかという理由で、長い間、手つかずだったそうです。「大阪城公園」として整備されたのは大阪万博の直前だったようです。

今は緑深い大阪城公園、その北の大阪ビジネスパークは高層ビル群のビジネス街。環状線の東側は森ノ宮団地と電車の車庫で。かつて軍事基地があったことが想像しずらいです。

学校でもこれらのことを教えてもらった記憶がないし、体験されてきたかたがたが亡くなると、消えていく事実になってしまうのか?

過去の戦争について「ピースおおさか」が建設され、資料がそこにまとめられていますが、先の化学分析場の施設しかり、歴史遺産として価値の高いものであり、保存していく話はないのでしょうか?


参考リンク:
大阪城の戦争遺跡@大阪市内で戦争と平和を考える
大阪砲兵工廠 | 写真の中の明治・大正 - 国立国会図書館所蔵写真帳から
大阪砲兵工廠って?@十三のいま昔を歩こう
大阪砲兵工廠本館の取り壊し - 十三のいま昔を歩こう
大阪砲兵工廠のサラマンダー 0013
大阪城公園・それは私の庭

(2013.8.14 16:37追記)
若干補記、訂正しました。