先月30日付の日本経済新聞・夕刊(関西版)に大阪の古地図の話題が出ていました。
大阪古地図、東が上
内容としては大阪の古地図は東が上にして描かれているという。

大まかに云うと「太閤さん」こと豊臣秀吉が「大坂城」を築城した際、城より南側の上町台地に城下町を建設し、当時貿易港の堺まで道路を結び、諸外国と貿易をしようと考えていたようですが、堺が「慶長の大地震」で大きく被害を受けたため、堺でなく、大坂城の西側の低湿地を開拓。「船場」としそちらに城下町をする方針転換。
城を上に町を下に描くため、東が上になったという。

「上町」や「上本町」は単に土地が高いから「上」と付いたのかと思えばそうではなく地図で城と同じ位置にあったからなようで。

一応諸説あるようではありますが。

経済新聞にこの手の記事が載るとは意外でした(笑)


リンク:大阪、なぜ上が「東」方角? @日本経済新聞