15日付の京都新聞によると、豊臣秀吉が造営した伏見城に隣接する武家屋敷跡の発掘調査で、関ヶ原の戦いの前哨戦「伏見城の戦い」で焼けた石垣と、のちに徳川家康が再建したとみられる石垣後が見つかったようだ。
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調査地は城の内堀の外側で、西側斜面で石垣跡を確認。石は抜かれていたが、石垣と土の間に詰める裏込め石が見つかったそうです。
さらに東に2メートル掘り進むと、別の石垣跡があり、石は赤く変色し、一部は表面が割れていた。周囲にも焼け土があり、落城時の激しい炎にさらされた痕跡とみられるとのこと。

関ヶ原の戦いの後、徳川家康は伏見城を再建するにあたり、豊臣期の石垣を覆い隠すように石垣を造成したようだ。

徳川の権勢を知らしめる為だったんでしょう。

なお、発掘調査は終了しており、現地説明会はないとのこと。


リンク:関ケ原前後の石垣跡が出土 京都・伏見城、激戦と復興示す : 京都新聞