「南海平野線」が1980年に廃線されて今年で40年になります。


「南海平野線」は大阪の恵美須町(または天王寺駅前)と平野を結んだチンチン電車。
廃線されて40年になるのだが、その前面展望の映像を撮ってらっしゃるかたがいて、その動画がYouTubeにアップロードされていました。
1980年11月に廃止される、その5日前に、平野から恵美須町まで運行されたもので、途中駅での乗務員や乗客の声、周辺の町並みが撮られています。
一部画像が乱れるところありますが。
線路上を往く「阪神高速松原線」の橋脚がこのとき既に建っているので、どのあたりを走っているかは地元のかたならわかるかと思います。
今のようにスマホで簡単に動画が撮れる時代やなく、高価なカメラを持っての撮影であったであろうと推測します。
始発の「平野駅」。

ひとつのホームに2つの線路が。
チンチン電車の駅は停留場というのですが、平野の場合は「平野駅」で駅舎も建っていました。
現在は線路跡に線路をイメージした遊歩道が設けられています。
平野を出て「西平野(にしひらの)」。国道309号と交差する場所に停留所がありました。

その間に通過する大阪内環状線(国道479号)は廃線後に、建設、開通されたもの。
この動画では写っていません。
「西平野」から、次の「中野(なかの)」までの間は阪神高速松原線の高架下を。

阪神高速を建設する際に、平野線の運行に支障がないよう、支柱を2本建て、その間を平野線が通っていました。
「中野(なかの)」。

当時の自宅から一番近かった停留所。
恵美須町方面乗り場(画像左側)が阪神高速の橋脚に寄り添うようにあったことを憶えています。
ここから阿倍野まで阪神高速高架の右側を電車道が通っていました。
因みに、この近くの近鉄南大阪線「針中野(はりなかの)」駅は、中野の鍼灸院さんが駅建設の歳に持っていた土地を譲ったことによりできた駅だそうで。
大阪市の町名変更で現在は地名にもなってますが。
「駒川町(こまがわちょう)」。

停留所の左側にアーケード無しの商店街があって、駒川商店街に続いています。
「田辺(たなべ)」。

画像の右側には文化橋商店街があって、近鉄南大阪線の今川駅まで続いています。
画像の右上のフルーツパーラーは今も喫茶店として営業していたかと。
踏切が2方向に分かれていたのも今も憶えています。
現在の地下鉄谷町線「田辺」駅の駅舎あたり。

現在は長居公園東筋(豊里矢田線)の拡幅で風景が思い切り変わっています。
画像左側に谷町線田辺駅の駅舎があるので、その違いがわかっていただけると思います。
「股ヶ池(ももがいけ)」。

阪和線のガードを潜ったあたりに停留所があったと記憶。
その阪和線のガードは、阪和線が「南田辺」以南高架された際に壊され、その名残はなくなりました。
画像の左側を往くと「桃ヶ池(ももがいけ)公園」。
この「股ヶ池」から先は線路に沿って道路が。
文教地区の阿倍野区に入った感。
「文ノ里(ふみのさと)」。
停留所の左に文の里商店街、右には明浄通り商店街が。

現在は画像左側の恵美須町行き乗り場の先に、地下鉄谷町線文の里駅への入口が。
あびこ筋の大きな踏切を過ぎて、暫く往くと「苗代田(なわしろだ)」。

この停留所のことは憶えていません。
「阿倍野(あべの)」。

この阿倍野を出たところで「天王寺駅前」に向かう線路が分かれていました。
阿倍野を出ると「阿倍野(斎場前)」交差点。上町線との直角交差。
ここから「飛田(とびた)」の手前まで道路の中央を通ります。まさに路面電車です。

画像では右折待ちの車が平野行き電車の進行を妨害。
動画では電車が警笛鳴らして車が退く模様が映し出されていました。
大阪の交通マナーの悪さの一端。
「飛田(とびた)」。

阪神高速松原線はこの手前で右カーブ。鬱陶しい高架がなくなっての(笑)
有名な「飛田新地」の最寄りでした。
この後、「今池(いまいけ)」で堺、住吉方面から来た阪堺線と接続、「南霞町(みなみかすみちょう)」(今の「新今宮駅前」)を経て、「恵美須町(えびすちょう)」に到着。

以上、画像は下記動画のスクリーンショットです。
映像は両方向撮影されたようで。貴重です。
因みに現在の線路跡をレポートした動画も別のかたがアップロードされています。
リンク:南海平野線 - WikiPedia
廃線されて40年になるのだが、その前面展望の映像を撮ってらっしゃるかたがいて、その動画がYouTubeにアップロードされていました。
1980年11月に廃止される、その5日前に、平野から恵美須町まで運行されたもので、途中駅での乗務員や乗客の声、周辺の町並みが撮られています。
一部画像が乱れるところありますが。
線路上を往く「阪神高速松原線」の橋脚がこのとき既に建っているので、どのあたりを走っているかは地元のかたならわかるかと思います。
今のようにスマホで簡単に動画が撮れる時代やなく、高価なカメラを持っての撮影であったであろうと推測します。
始発の「平野駅」。

ひとつのホームに2つの線路が。
チンチン電車の駅は停留場というのですが、平野の場合は「平野駅」で駅舎も建っていました。
現在は線路跡に線路をイメージした遊歩道が設けられています。
平野を出て「西平野(にしひらの)」。国道309号と交差する場所に停留所がありました。

その間に通過する大阪内環状線(国道479号)は廃線後に、建設、開通されたもの。
この動画では写っていません。
「西平野」から、次の「中野(なかの)」までの間は阪神高速松原線の高架下を。

阪神高速を建設する際に、平野線の運行に支障がないよう、支柱を2本建て、その間を平野線が通っていました。
「中野(なかの)」。

当時の自宅から一番近かった停留所。
恵美須町方面乗り場(画像左側)が阪神高速の橋脚に寄り添うようにあったことを憶えています。
ここから阿倍野まで阪神高速高架の右側を電車道が通っていました。
因みに、この近くの近鉄南大阪線「針中野(はりなかの)」駅は、中野の鍼灸院さんが駅建設の歳に持っていた土地を譲ったことによりできた駅だそうで。
大阪市の町名変更で現在は地名にもなってますが。
「駒川町(こまがわちょう)」。

停留所の左側にアーケード無しの商店街があって、駒川商店街に続いています。
「田辺(たなべ)」。

画像の右側には文化橋商店街があって、近鉄南大阪線の今川駅まで続いています。
画像の右上のフルーツパーラーは今も喫茶店として営業していたかと。
踏切が2方向に分かれていたのも今も憶えています。
現在の地下鉄谷町線「田辺」駅の駅舎あたり。

現在は長居公園東筋(豊里矢田線)の拡幅で風景が思い切り変わっています。
画像左側に谷町線田辺駅の駅舎があるので、その違いがわかっていただけると思います。
「股ヶ池(ももがいけ)」。

阪和線のガードを潜ったあたりに停留所があったと記憶。
その阪和線のガードは、阪和線が「南田辺」以南高架された際に壊され、その名残はなくなりました。
画像の左側を往くと「桃ヶ池(ももがいけ)公園」。
この「股ヶ池」から先は線路に沿って道路が。
文教地区の阿倍野区に入った感。
「文ノ里(ふみのさと)」。
停留所の左に文の里商店街、右には明浄通り商店街が。

現在は画像左側の恵美須町行き乗り場の先に、地下鉄谷町線文の里駅への入口が。
あびこ筋の大きな踏切を過ぎて、暫く往くと「苗代田(なわしろだ)」。

この停留所のことは憶えていません。
「阿倍野(あべの)」。

この阿倍野を出たところで「天王寺駅前」に向かう線路が分かれていました。
阿倍野を出ると「阿倍野(斎場前)」交差点。上町線との直角交差。
ここから「飛田(とびた)」の手前まで道路の中央を通ります。まさに路面電車です。

画像では右折待ちの車が平野行き電車の進行を妨害。
動画では電車が警笛鳴らして車が退く模様が映し出されていました。
大阪の交通マナーの悪さの一端。
「飛田(とびた)」。

阪神高速松原線はこの手前で右カーブ。鬱陶しい高架がなくなっての(笑)
有名な「飛田新地」の最寄りでした。
この後、「今池(いまいけ)」で堺、住吉方面から来た阪堺線と接続、「南霞町(みなみかすみちょう)」(今の「新今宮駅前」)を経て、「恵美須町(えびすちょう)」に到着。

以上、画像は下記動画のスクリーンショットです。
映像は両方向撮影されたようで。貴重です。
因みに現在の線路跡をレポートした動画も別のかたがアップロードされています。
リンク:南海平野線 - WikiPedia