桂九雀
2017年09月17日20:49
2013年06月18日23:12
2013年06月16日23:55
2012年10月08日17:31
2012年02月15日23:59
2012年01月21日12:48
2011年02月19日23:44
2011年02月18日21:32
2010年11月18日18:10
2009年08月10日23:24
2009年01月23日23:46
2008年12月18日23:46
17日の朝日新聞によると、上方落語協会を脱退した桂枝雀さん(故人)の一門のうち、雀三郎さんとその門下、雀松さん、九雀さん、む雀さんが協会に復帰することになったそうです。
協会主催の天満天神繁昌亭の定席(昼席)は来春以降に出演することになるそうです。
同じ枝雀門下の南光さん、雀々さん、文我さんは協会復帰を見合わせるそうです。
それにしても朝日新聞の見出し。「歌手の桂雀三郎さん」って(笑)
リンク:上方落語協会脱会の4人が復帰 歌手の桂雀三郎さんら@朝日新聞続きを読む
協会主催の天満天神繁昌亭の定席(昼席)は来春以降に出演することになるそうです。
同じ枝雀門下の南光さん、雀々さん、文我さんは協会復帰を見合わせるそうです。
それにしても朝日新聞の見出し。「歌手の桂雀三郎さん」って(笑)
リンク:上方落語協会脱会の4人が復帰 歌手の桂雀三郎さんら@朝日新聞続きを読む
2008年03月30日20:45
2007年12月21日01:11

阪神尼崎駅近く尼崎市総合文化センターでの桂米朝一門による尼崎落語勉強会に行ってきました。
京都・安井の金比羅さんの会とともに、米朝一門の勉強会のひとつ。
私は2ヶ月前の前回と2回連続の鑑賞。
18時15分の開演に間に合いました。
この日の演目は以下の通り。
この会はトリだけネタだし(事前に演目を公表すること)しています。
『みかん屋』桂さん都(都丸門下)
『近日息子』桂まん我(文我門下)
『いらち俥(いらちぐるま)』桂わかば(ざこば門下)
『蔵丁稚』桂九雀(枝雀門下)
『明石飛脚』桂雀喜(雀三郎門下)
『始末の極意』桂米二(米朝門下)
『貧乏神』(小佐田定雄・作)桂こごろう(南光門下)
※中入りなし。
この会の世話役の米二さんが、今回の客の入りを心配していたけれど、入りは定員の120人を超える大入り。
それまでの入りは「だいたい40人くらい」(米二さん・談)だったそうですが、今年8月の回に米朝師匠と白井尼崎市長(美人市長!)がゲストに出たときに、尼崎のみなさんにこの会の知名度が上がったようです。
トップバッターはさん都さんの『みかん屋』。この時期の前座噺としてよく聴く噺です。
みかん屋が彼のニンにあっていたような(微笑)
二番手はまん我さん。『近日息子』は初めて聴く噺でした。まん我さんの口演も数えるくらいしかないけれど、キャリアの割にしっかりした語り口だと思いました。しっかり笑いをとっていました。
まん我さんは国立大学出で入門は遅いけど、生まれた年は昭和46年の亥年で、桂吉弥、林家染左、桂よね吉、桂歌之助、etc(敬称略)と同い年。私よりひとつ上になるんですが、昭和46年は若手噺家のあたり年ですね。
三番手はわかばさん。『いらち俥(いらちぐるま)』を披露。江戸落語相当『反対俥(はんたいぐるま)』。
「俥」とは字の通り、人力車のことです。この日のわかばさんは、途中までの口演でしたが、この噺に因み、マクラでは入門当時に人間国宝の米朝さんを尼崎市の自宅までミナミの落語会会場までクルマで送り届けたときのエピソードを。実録ドキュメントでした。最後はフィクションぽかったが(笑)たいへんおもしろかったです。
九雀さんは『蔵丁稚(くらでっち)』。
『蔵丁稚』は芝居好きの丁稚(でっち)が閉じこめられた蔵の中で歌舞伎のまねをする噺。
面長の九雀さんですが、芝居好きの丁稚がとても似合っていました。
因みにこのエントリーは画像とネタだけ携帯電話からアップしたのですが、私が使うパナソニック製のFOMAには「丁稚」が辞書登録されていませんでした(苦笑)
この日の九雀さんは眼鏡をかけていませんでした。最近は高座では眼鏡をかけてらっしゃらないのでしょうか? 眼鏡が顔に貼り付いているのではないかと思うほどのかたでしたが。
雀喜さんは『明石飛脚』。一人の飛脚を主人公にした小噺を合わせた噺でした。
飛脚がニンに合っていたように思いました。
この会の世話役・米二さんは、マクラではドラマ『ちりとてちん』のことを。ストーリーは楽しいが、本職として気になることがあるそうです。ひとつは弟子をとって暫く稽古をつけなかったこと。普通は弟子をとったら、早々に稽古をつけるとか。因みに、米二さんは雀三郎さんに弟子入りする前の雀喜さんに稽古をつけたことがあるそうです(微笑)
あと渡瀬さん演じる師匠の草若は思いきり普段着で、しかも横になって弟子に稽古をつけているが、稽古を付けるときは師匠も普段着ではないらしい。『落語を冒涜してまっせ』。
これについては、落語指導担当の林家染丸さんも局側に指摘したそうですが、融通が利かず、変更できなかったらしいです。
本編は「時間がなくなった」ということで『始末の極意』を途中まで。米二さんはアホの役が合ってて(もちろんニンではない)、ツボにはまりそうだった。
トリはこごろうさん。マクラ無しに『貧乏神』へ。小佐田定雄さんが枝雀さんに書き下ろしたものだそうで。気の弱い貧乏神と、貧乏神が取り憑いた男との噺。気が弱い神さんというのが落語らしく、本来と立場が逆転。貧乏神の心理描写に重点が置かれてて、シュールな結末。でもしめっぽくなかった。
枝雀さんが好んで高座にかけた(口演した)そうですが、爆笑ものが多いこごろうさんの中で十八番になってってほしいなあと思います。
リンク:
・尼崎市総合文化センター
2007年11月02日23:59

「落語の定九日」は落語作家の小佐田定雄さんが書かれた新作や掘り起こされた作品を九雀さんとゲストが口演するというもの。
この日の演目は以下の通り。
『ハカバの女(ひと)』(小佐田定雄・作)桂九雀
『お父つぁんは魔法使い』(小佐田定雄・作)林家花丸
鼎談 小佐田定雄・桂九雀・林家花丸
(中入り)
『三十石夢通路(さんじっこく・ゆめのかよいじ)』桂九雀
19時開演だったのですが、仕事が定時で終わらず、会場についたのが、1席目の九雀さんの話が終わってて、2席目の花丸さんがマクラをしゃべっていたときでした。
借金を抱えた主人公が父親に相談すると、父親が魔法使いであることがわかり、父親の魔法によって解決しようとするもの。父親のとぼけっぷりが花丸さんのニンに合っていると思いました。魔法かけるときには、タイムリーなギャグをポーズとしてアドリブでいろいろ入れていました(笑)
あとの鼎談で触れられていましたが、『お父つぁんは魔法使い』は小佐田さんが花丸さんのために、書き下ろした作品。
中入り後は、九雀さん二席目は『三十石夢通路』。
この噺は古典落語の『三十石』を小佐田さんが再構成されたものだそうですが、私は古典落語の『三十石(さんじっこく)』をきちんと聴いたことがなかったので(勉強不足なので)、そのへんがわかりませんでした。
リンク:
・落語工房
・雀のおやど・落語会情報
2006年06月17日01:40

会場はJR鶴橋駅から千日前通を渡り、環状線高架の左側を50mほど歩いたとこに「雀のおやど」と書かれた提灯が。間口の狭い倉庫の傾斜のきつい階段を上がると畳敷きの部屋があり、そこが会場でした。「雀のおやど」とは、ここをホームグラウンドにしている桂雀三郎さんの名前からとっているだけではなくて、会場の形状(雀の巣のような)からもとっているのでしょうね。
この日の演目は以下の通り。
「手水(ちょうず)廻し」桂雀五郎
「半分雪」桂九雀
対談桂九雀・小佐田定雄(落語作家)
(中入り)
「五段目」桂九雀
「半分雪」は江戸落語では「富士の雪」とか「垢相撲」とか呼ばれている噺だそうで、その題の美しさの割にサゲが美しくなかったですね。
九雀さんの小佐田さんの対談は、主に本日の噺の解説が中心。
あと小佐田さんが執筆された「5分で落語のよみきかせ」の執筆裏話も。落語(古典・創作含め)を子供達に5分で読み聞かせられるよう判りやすく紹介ということで、数多く噺があれど、かなり絞り込まれるのだそうです。
#大人の色気モノの噺はできない。「三枚起請」だと、まず遊女の説明をしなければならないから(笑)と仰ってました。
中入り後は、九雀さんの「五段目」。
歌舞伎の仮名手本忠臣蔵五段目の下り(山崎街道の場面ですが)を田舎芝居で演じられる噺なのですが、実際舞台に経った役者達はドジを踏み続け・・・。九雀さんの好演に場内は老いも若きも爆笑でした。
九雀さんは小佐田さんとの対談の中で、この噺のことに触れ、以前ある落語会で”ある噺家さん”(九雀さんのページには、その”ある噺家さん”の名前が)がこの噺を演じていたのですが、「僕なら、こう面白く演じられるであろう」とこの噺をやってみたくなったそうです。
…九雀さんの「五段目」を聴き終えて、その染左さんの「五段目」も聞き比べてみたくなりました(笑)
リンク:
『雀のおやど』柿落とし(会場の中の写真が載っています)
落語の定九日@(九雀さん主宰)落語工房ホームページ
以下、アフィリエイト。(Amazonにリンクしています)


2005年07月18日22:19

この公演で会場のサンケイホールが53年間の歴史に幕を閉じ、閉鎖。取り壊し工事に入るそうで、それもあって17、18日の2日間は前売りが完売。
補助席が出ていました。
この日の題目は以下の通り。
『子ほめ』桂しん吉
『軽石屁』桂九雀
『狸の賽』桂小米朝
『ろくろ首』桂都丸
『あくびの稽古』桂米朝
(中入り)
『時うどん』桂雀三郎
『ちりとてちん』桂南光
座談会『さよならサンケイホール』
南光さんの一席の後に座談会が予定されていたので、みなさん20分程度で一席を終えられました。
雀三郎さんが『時うどん』は熱演でした。前座のかたが演じられるのと全然違い、ダイナミック。会場は空調が効いていたのですが、熱いうどん食べた後のように汗が出ていました。
中トリの米朝さんは80歳を回っていることもあってか、”まくら”では言葉につまるところがありましたが(苦笑)、”まくら”が終わって本題に入ると、それが感じられませんでした。さすがでした。
トリの南光さんの一席の後は、サンケイホールに縁のあるかたがたをゲストに招いての座談会。小米朝さんが司会を務められるました。ゲストには山村楽正や辻久子さん、朝比奈千足さんなど、錚々たる面々でした。
最後は出演者や観客全員で、『米朝一門締め』(指1本から5本まで、指1本ずつ増やして締めるもの)で締めて、サンケイホールの53年の幕が下りました。
サンケイホールには高校生のときから幾度となく落語を聴いたので思い出深いホールです。2階席で聴くのが専らでしたが、上のほうは客が埋まると、空調が効かなかったです(苦笑)。あとイスも固かったし、大柄の男性が座るには窮屈に思いました。ただ、2階席の上のほうからでも舞台が遠く感じなかったです。音響も悪くなかったし、よく設計されているホールだと思いました。

リンク:
米朝一門会@サンケイホール
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